ヒトの細胞では、IDO1と呼ばれる宿主分子が、トキソプラズマ原虫「増殖抑制」機構で重要な役割を果たしていることを明らかにしました。また、TgISTと呼ばれるトキソプラズマ病原性因子が、IDO1依存的な宿主免疫反応を抑制していることを発見しました。
トキソプラズマはヒトを含む全ての恒温動物に感染する人畜共通の寄生虫であり、世界人口の3分の1が感染していると言われます。免疫系が正常である場合、ヒトは感染しても重症化することはほとんどありませんが、エイズや臓器移植など免疫不全状態になると致死的な症状を引き起こします。また、妊婦が初感染すると流産や新生児の先天性トキソプラズマ症の原因となります。現在、日本国内でのトキソプラズマ症の症例数は増加していることからも、新たなトキソプラズマ対策が必要とされています。これまでに、マウスを使った寄生虫免疫学による研究によって、宿主?トキソプラズマ相互作用が明らかとされてきました。しかし、ヒトではどのような免疫反応が抗トキソプラズマ応答に重要であるか、また、その宿主免疫反応をトキソプラズマはどのように抑制しているのかについては全く不明でした。
私たちは、マウスの細胞ではインターフェロンガンマ依存的な抗トキソプラズマ免疫反応に必須の分子として知られているATG16L1が、ヒトの細胞(HAP1細胞)では宿主免疫反応に関与していないことを明らかとしました(図1A)。そこで、インターフェロンガンマ誘導性タンパク質群であり、トキソプラズマの増殖に必須の栄養素を分解する酵素に注目し、これらの分解酵素が抗トキソプラズマ免疫反応に及ぼす影響を解析した結果、IDO1と呼ばれるトリプトファン分解酵素の一つが、ヒトの細胞ではインターフェロンガンマ依存的な抗トキソプラズマ免疫反応に重要な役割を果たしていることを明らかとしました(図1B)。次に、IDO1はどのような作用機序によって虫体数の減少を引き起こしているかを調べてみました。その結果、IDO1欠損HAP1細胞と野生型HAP1細胞では、感染後3時間、24時間ともにトキソプラズマに感染している細胞数が同じでした(図2A)。この結果によって、IDO1はトキソプラズマの殺傷能には関係無いことが明らかとなりました。一方、感染24時間の1つの寄生胞の中に存在する虫体数を比較すると、IDO1欠損HAP1細胞では虫体数が増加していました(図2B)。これらの結果から、IDO1依存的な抗トキソプラズマ免疫反応に伴う虫体数の減少は、トキソプラズマの増殖抑制によるものであることがわかりました。また、特定の細胞株だけではなく、ヒト正常細胞でもHAP1細胞と同様に、IDO1によるトキソプラズマの増殖抑制が抗トキソプラズマ免疫反応に重要であることも明らかとなりました(図3)。
次に、トキソプラズマはヒトの細胞の中ではどのようにしてIDO1依存的な宿主免疫反応を逃れているか調べました。これまでに、トキソプラズマは、様々な病原性因子を分泌して宿主の免疫反応を抑制していることが知られていますが、ヒトの細胞ではどのような病原性因子を利用してIDO1依存的な免疫反応を抑制しているかは不明でした。そこで私たちは、IDO1を含む宿主免疫系の活性化に関与する宿主分子STAT1の活性化を阻害することで知られているトキソプラズマの病原性因子「TgIST」に着目しました。まず、TgIST を欠損したトキソプラズマを作製し、インターフェロンガンマ刺激後の虫体数を野生型のトキソプラズマを感染させた場合と比較しました。その結果、TgIST欠損トキソプラズマは、野生型と比較して虫体数が減少することが明らかとなりました(図4A)。また、STAT1依存的に発現する宿主分子IRF1とIDO1のタンパク質発現も比較した結果、TgIST欠損トキソプラズマが感染した細胞では、IRF1とIDO1の発現が野生型のトキソプラズマを感染させた場合より強く発現誘導されていることが明らかとなりました(図4B)。これらの結果から、トキソプラズマはヒトの細胞では病原性因子TgISTを分泌して、STAT1の活性化を阻害することでIDO1の発現を抑制していることが明らかとなりました。
以上の結果から、
① ヒトの細胞では宿主分子IDO1が抗トキソプラズマ免疫反応に重要な役割を果たすこと
② IDO1による抗トキソプラズマ免疫反応の作用機序は増殖抑制であること
③ トキソプラズマの病原性因子TgISTはヒトの細胞ではSTAT1の活性化を阻害することでIDO1の発現を抑制していること
が明らかとなりました(図5)
本研究で私たちは、ヒトの細胞で抗トキソプラズマ免疫反応に重要な宿主分子としてIDO1を同定しました。また、実際にトキソプラズマはヒトの細胞では、IDO1を抑制する病原因子を利用していることも示しました。今回の私たちの発見した研究成果は、IDO1を新たな標的として、その機能を高めることによって新規の治療・予防戦略を提供できることが期待されます。
図1 ヒトの細胞では抗トキソプラズマ免疫反応にIDO1が重要な役割を果たす
(A) ヒトの細胞(HAP1細胞)ではATG16L1を欠損しても、インターフェロンガンマ刺激によって虫体数が減少している。つまり、HAP1細胞ではATG16L1は抗トキソプラズマ免疫反応に関与していないことを示している。
(B) HAP1細胞ではIDO1を欠損すると、インターフェロンガンマ刺激後の虫体数が減少しない。つまり、HAP1細胞ではIDO1が抗トキソプラズマ免疫反応に重要であることを示している。
図2 IDO1はトキソプラズマの殺傷能には関係がなく、増殖抑制に重要な役割を果たす
(A) 細胞内に感染しているトキソプラズマと、一つの寄生胞の中にいる虫体数を示す顕微鏡写真。
(B) トキソプラズマに感染されている細胞の数は、インターフェロンガンマ刺激後のIDO1欠損と野生型HAP1細胞で差がない。つまり、IDO1はトキソプラズマの殺傷能には関係がないことを示している。
(C) インターフェロンガンマ刺激後のIDO1欠損HAP1細胞では、1つの寄生胞の中にいる虫体数が増加している。つまり、IDO1はトキソプラズマの増殖を抑制する効果があることを示している。
図3 正常ヒト細胞でもIDO1はトキソプラズマの増殖抑制に重要な役割を果たす
(A) 正常ヒト細胞(HFF細胞)ではATG16L1を欠損しても、インターフェロンガンマ刺激によって虫体数が減少しているが、IDO1を欠損すると、インターフェロンガンマ刺激後の虫体数が減少しない。つまり、HFF細胞ではATG16L1は抗トキソプラズマ免疫反応に関係なく、IDO1が重要であることを示している。
(B) インターフェロンガンマ刺激後のIDO1欠損HFF細胞では、野生型やATG16L1欠損HFF 細胞と比較して、1つの寄生胞の中にいる虫体数が増加している。つまり、IDO1はトキソプラズマの増殖を抑制する効果があることを示している。
図4 病原性因子TgISTはSTAT1の活性化を抑制してIDO1の発現を阻害する
(A) TgISTを欠損したトキソプラズマは野生型と比較して、インターフェロンガンマ刺激によって虫体数が減少している。つまり、TgISTは抗トキソプラズマ免疫反応の抑制に重要であることを示している。
(B) 野生型を感染させた細胞ではTgIST欠損トキソプラズマを感染させた場合と比較して、IRF1とIDO1のタンパク質発現が激減している。つまり、TgISTはSTAT1の活性化を阻害することでIDO1の発現を阻害する効果があることを示している。
図5 ヒト細胞における宿主分子IDO1を中心とした宿主?病原体相互作用
野生型のヒト細胞で起こる抗トキソプラズマ免疫反応では、インターフェロンガンマによって誘導されるIDO1の発現が重要であり、トリプトファン分解酵素IDO1がトキソプラズマにとって必須の栄養素であるトリプトファンを分解して、トキソプラズマの増殖を抑制している(左図)。一方、トキソプラズマはIDO1の発現を抑制するために、IDO1の発現誘導に重要なSTAT1の活性化を、病原性因子TgISTを分泌することで阻害している(右図)。