私は2001年3月に東京大学理学部を卒業しました。感染症研究を分子遺伝学を使って研究したい、ノックアウトマウスを作ってみたくて大阪大学の微生物病研究所(微研)の審良静男先生の研究室(審良研)に飛び込み、Toll様受容体(TLR)の細胞内シグナル伝達経路の研究をさせてもらいました。その間一言で言えば「世界レベルの研究とは何か、世界を相手に競争して勝つにはどうすればよいか?」ということについて身を以って体験させてもらいましたし、寝食を忘れて研究に没頭した6年間でした。
当時、学部卒業と同時に東京大学を出て、修士課程から大阪大学に行く時には周囲から「都落ち」などと言われ、正直なところ、東京から縁もゆかりもない大阪に行く時には「自分の決断は本当に正しかったのだろうか?」と微妙な気持ちにもなりましたが、今にして思えば、学歴にこだわることなく、ある意味退路を断って、やってみたいことを優先して良かったと思っています。結局、この業界は大学院が東大院卒なのか阪大院卒なのかという最終学歴はあまり重要ではなく、それよりも、どんなユニークな研究をしたのか、そしてどのような業績を挙げたのかの方が大事なのです。
その後2007年4月に審良研時代の御縁で私の直接の指導教官であった竹田潔先生に誘われ、大阪大学大学院医学系研究科に新しく竹田先生の研究室(竹田研)ができる際に助教として採用され、その後准教授にもして頂きました。竹田先生からは「学生の指導をしつつも、師匠である審良先生とは異なる研究分野で、自分の独自の研究テーマを自分で見つけること」を厳命され、紆余曲折を経て辿り着いた研究が病原性原虫・トキソプラズマの免疫寄生虫学でした。「何で、トキソプラズマ(なんか)を選んだの?」と今でもその理由をよく聞かれるのですが、まず寄生虫を選んだ理由は当時指導していた学生のテーマが寄生虫だったため、つまり、その指導をする必要があった(上司の職務命令)ため。そして、寄生虫の中からトキソプラズマを選んだ理由は、寄生虫の論文をPubMedで眺めていると、もちろんマラリアはハイインパクトな学術誌に論文が沢山掲載されていましたが、それに負けず劣らずトキソプラズマも出てきました。トキソプラズマって何だろう?何でこんなに出てくるの?と色々文献を調べると、トキソプラズマでは分子遺伝学的方法が確立されていて、遺伝子のノックアウトができることから「High Qualityなサイエンス」ができ、さらにマラリアと同じ胞子虫類なので基本構造などが全く同じなため、マラリアを調べるための道具としても重宝されているからでした。またそのトキソプラズマのノックアウトの仕方が、今までさんざんやってきたマウスのノックアウトと似ていたので、何となく親近感があり、「よし、トキソプラズマにしよう。トキソプラズマで沢山ノックアウトを作って色々調べてよう」と思いました。日本でトキソプラズマの分子遺伝学をやっている研究室は全くなく、一から農水省の許可を取ってトキソプラズマを輸入し、遺伝子改変用のベクターを海外の有名ラボから分与してもらい、論文だけを頼りに、後は見よう見まねでノックアウトトキソプラズマを作ろうとしましたが失敗の連続でした。徐々にクセをつかんで、初めてROP16欠損トキソプラズマができた時は感動しました。さて、原虫から宿主細胞質に放出されるROP16がどのようにして宿主免疫系を抑制に関与するのか、当時は全く不明でホットトピックでした。欧米のトキソプラズマ学者達もそのメカニズムを調べていましたが、いちいちROP16の変異体を発現させたトキソプラズマを2か月かかって作って検討するという古典的な手法でした。私はさんざんTLRのシグナル伝達経路の研究で哺乳動物細胞を使っていたので、単純に(乱暴に)トキソプラズマのROP16を哺乳動物細胞用の発現ベクターに入れて、哺乳動物細胞に強制発現させたら免疫抑制のメカニズムが調べられるのではないかと考え、ROP16を過剰発現させ色々な転写因子のルシフェラーゼレポーターを調べるとStat3レポーターが振り切れるぐらい上がりました。Stat3は自然免疫細胞では抑制性の転写因子ですから、ROP16は直接Stat3を活性化して自然免疫を抑制していたのです。この実験系ならわざわざ2か月かけてトキソプラズマを作る必要はなく、2日で結果が出ます。おそらく海外のグループは数年前から同じテーマをやっていたと思うのですが、私たちは圧倒的なスピードで抜き去り、あっという間にJ Exp Medに論文を出すことができました。トキソプラズマ業界では私たちは「一見さん」でしたが、Reviewerからべた褒めのほぼ一発アクセプトでした。と同時にトキソプラズマ業界はいい仕事をすればネームバリューなどに関係なく一見さんでも受け入れてくれるような真っ当なコミュニティーであることもわかりました。このトキソプラズマ遺伝子を無理やり哺乳動物細胞で発現させ機能解析を迅速に行うという手法はその後のトキソプラズマ業界のスタンダードになっていますから、そういう意味でインパクトがあったのだと思います。この経験は「ある分野の常識は、別の分野の非常識である」ことを深く印象づけ、今でも異分野の人と積極的に交流しています。
また竹田研では研究そのものだけではなく、まず阪大の竹田研の間取りをゼロから設計し(前のラボの残しものの処分という意味ではマイナスからでしたが、、、)事務と業者との交渉や手続きをやらせてもらう貴重な経験をさせてもらい、また研究室を管理職として運営するにはどのようなことが必要なのか、大阪大学医学部の学生の指導や学部業務の一端を担うなど、いわゆる組織の中での行儀作法を学ばせて頂いた大変貴重な5年間でした。
2011年8月に転機が訪れました。古巣である微研から「独立しないか?」とのお誘いです。微研からは「寄生虫学」分野の拡充が求められ、同時に免疫学フロンティア研究センター(IFReC)との兼任教員ともなるということから「世界最先端の免疫学」の研究しなければいけませんが、このオファーに応えなければ漢ではありません。期待と不安の中で、2012年4月にまずは独立准教授として研究室を開きましたが、この微研とIFReCという大きな二つの研究組織から陰に陽に様々な援助も(それから、それなりのプレッシャーも)受け、良きスタッフに支えられながらも、2013年7月に教授となり今に至っています。
大阪大学の微研とIFReCの研究環境は、基本的に感染症学・免疫学研究をするために設計されています。今まで日本国内あるいはハーバード大、MIT、スタンフォード大、ペンシルバニア大学、テキサス大学、オックスフォード大学、ジュネーブ大学、、、など色々な主要な国外の感染症免疫学系研究施設を見てきましたが、この山本研がある微研・IFReCほどハードな面でどこよりも研究環境が整っている施設はなく、ここは「世界最強レベル」だと思います。
後はソフト、すなわち、「人」です。大志を抱かなけれれば、物事は成し遂げられません。学部生、大学院生あるいはポスドクは、このハードが揃った理想的な条件下で思う存分、実験に打ち込んで、沢山、いい研究をして成果を挙げてほしいと思います。かつての自分がそうであったように、そんな志を持った若い人を今度は私が応援します。
大阪大学研究者総覧による紹介はこちら。
http://www.dma.jim.osaka-u.ac.jp/kg-portal/aspi/RX0011D.asp?UNO=15159&page=65
Researchmap による紹介はこちら。
https://researchmap.jp/read0151116/